アイセキ コミュニケーションズ
家族と 地域と -美しく生きる-を応援サポート
ホーム石(いし)stone墓地・墓石歴史・文化結婚支援エンタメカラオケ1ばんイベント
柏田稲荷大明神
赤龍山昌国寺
心王山自心院華蔵寺
曹洞宗大本山永平寺
奈良公園
法隆寺
歴史・文化

4月13日寄居北条まつりが開催されました

天正18年(1590年)の鉢形城攻防戦を再現したお祭りです。全国各地でいわゆる「時代祭り」というものが行なわれ、鎧・兜の武者行列が見られますが、寄居北条まつりの特徴は荒川の河原で実戦さながらの攻防戦が行なわれるところです。

天下統一をめざす豊臣秀吉はついに関東制覇にのりだします。ここにたちはだかるのは初代早雲から数えて5代、今や関東を支配する北条氏。秀吉は大軍を率いて本拠地小田原城を包囲。援軍も見込めない状態でやがて調略などにより内側から崩壊。ほとんど戦わずして降伏にいたります。その中で支城である鉢形城は北陸から侵攻してきた前田利家・上杉景勝連合軍に対し「関東武士の意地を見せん」と果敢に戦いを挑みます。しかし多勢に無勢。負けること明らか。「十二分に戦った。意地は見せた。」と潔く降伏します。後々までこの「意地と潔さ」が語り継がれました。

古代の関東

現在の関東という呼び名は箱根の関の東という意味だと思われます。「甲子園の優勝旗が箱根の関を越える。」という表現が使われますが、グッと昔、まだ大和政権が本州の西半分くらいの勢力のころ、「関」といえば不破の関、よって名古屋のある濃尾平野がそのころの関東平野であり、当時東国と呼ばれていたのはこの地域でした。壬申の乱で「天武天皇が東国の兵を率いて」という東国は尾張、美濃のことです。(現在三重県、静岡県を含めて東海地方と呼ばれますが、言語的には三重県は関西弁で、愛知県、岐阜県の広義の名古屋弁とは大きく異なります。)その先は毛人の地といわれていましたから、そこに住む人たちはもう異民族という認識であったかもしれません。

NHKスペシャルの「日本人はどこから来たか」でも、九州に上陸した弥生人の広がり濃尾平野を越えると急激に速度が落ちたと紹介しているように、弓なりの日本列島の折曲がったところ、フォッサマグナの西端、糸魚川静岡構造線、日本アルプス、この辺りが越えにくい一線であったのでしょうか。

大和朝廷の支配の拡大

その後大和朝廷の支配の拡大につれて現在の関東地方を越え関は白河の関まで東進、北上していきます。今度はこの辺りが異民族との国境となり蝦夷と対峙することとなります。

to be continued

ホーム石(いし)stone墓地・墓石歴史・文化結婚支援エンタメカラオケ1ばんイベント